留学、ワーホリに大義なんて必要ない – 行きたいから行く

全ての留学、ワーホリ経験には意味がある

こんにちは、りのです。今回は自己紹介もかねてなぜイギリスに留学、それも大学院に行こうと思ったのかを踏まえながら広く一般的に留学、ワーホリの目的と理由とその必要性について考えていきます。

時は遡りまだ自分が高校生だった時、世界史の担当教員が笑いのセンスに溢れすぎていて世界史にのめりこんでいたのですが、そんな時ヘタリアというマンガを読む機会があったんです。世界中の国の擬人化という当時はかなり斬新なアイデアで、コメディストーリーが楽しくて信じられないぐらいハマりました。大学進学後は時間とお金に多少融通が利くようになったので、映画があれば真っ先に映画館に向かい、コラボイベントには友人たちと連れ立って何度も顔を出し、3カ月に1度ぐらいのペースで同人誌即売会に参加し同人誌を買い漁り、聖地巡礼と称してなけなしのバイト代で年に1度イギリス旅行していました。つまりマジでただのオタクです。察しの良い読者の方はご推察の通り、イギリスを死ぬほど推してました。どこでアクセルを踏み間違えたのか推しへの重い(想い)が募りすぎて聖地巡礼では飽き足らず、どうしても現地で生活してみたくなってしまいました。笑

これが、中学生の時に英語の教科書で初めて見たフィッシュアンドチップスに対して真っ先にマズそうという感想を抱き、中学校3年間英語の成績は万年2しかつけてもらえず、これが3等親以内の親族には海外留学や長期滞在を経験した人はおらず、家族旅行で海外なんてとんでもない、両親は新婚旅行でカナダに行っただけ、そんな環境で育った私が海外留学に興味を持ったきっかけでした。

現地で生活してみたいと本気で考え始めたのは震災後のタイミング、2011年ぐらいで当時は何の知識も経済的援助の当てがあるわけもない丸腰の大学生で、私が実際に大学院留学生として渡英できたのは2018年のことですから、実に7年越しの悲願というわけでした。

語学留学やワーホリといった比較的手の届きやすい目的を選ばなかったのか?きっかけと目的(推しの国に長期間住んでみたい)を考えると本来はそれでもよかったんです。本当に。ただ、中流家庭出身の私は大学は絶対に4年で卒業してくれ、最低限の学費以外は出せないと念押しされていたため在学中に物価の高いイギリスへの渡英を考えることはどうしても難しい事情がありました。そうすると何が問題になるのか。就職です。経済的理由が大きかったとは思うものの、家族が海外に興味がないこともあり、海外留学してみたいという話をしても、語学留学は「英語なら国内で勉強できるでしょ?」、「ワーホリなんてとんでもない、遊びに行って将来どうするんだ」と反応は散々なもの。実際、当時は「ワーホリ 就職ない」「語学留学 意味ない」というGoogle検索結果のサジェストを見て慄いたものです。また、自分もそれまでの人生において舗装された道しか歩いてこなかった、さらに言えば学歴競争においてそれなりに勝ち星を残してきたこともあり、就職への不安を抱えながらそれらの選択肢を取ることに全く自信がなく、その言葉を跳ね返す雑草根性はありませんでした。それならばと海外駐在を前提とする職種への就職に挑戦した後、それがダメだったので就職して貯金しながらより意味のある大学院留学に行くことを決めました。

ただ、なぜそこまでして意味のある留学に拘ってたんだろうと今改めて振り返ると思うんです。実際問題就職口にあぶれてしまったら生活が成り立たなくなるし、いつ何時何があるかわからないこの世界、無駄なことにお金を費やしている余裕はない、そんな心配からの言葉もあったでしょう。しかし、就職に有利になったり英語力が上がるような成果がなければ海外に行くことは無駄なこと、ダメなことなんでしょうか。

渡英中、語学留学やワーホリで来ている人に会う機会も多かったのですが、彼ら彼女らは自分の軸で英国滞在を楽しんでいて、中にはロンドンにいながら私は日本人としか交流しないというポリシーを持つ人もいました。海外で会う日本人との交流や、ロンドンを拠点にするからこそできる海外旅行を楽しみとしていたようで、英語力の向上については目的としない、ということを決めて渡英してきたようです。自分で海外滞在の理由と目的をしっかり定めた上で、毎日色んな人と楽しそうに過ごしていた彼女の経験を誰が無駄だと言えるでしょうか。

結果論として私は大学院留学を選んで多くを得たし、よかったと感じているものの、元々私の目的は「ただ推しの国で暮らしてみたい」だったわけで、語学留学でもワーホリでも私にとっては間違いなく「意味のある留学/海外滞在経験」になっていたはずです。

Googleで検索すると、「留学 意味」「留学 意味ない」「留学 メリット」「留学 行くべきか」というようなサジェストが瞬時に出てきます。これらの検索結果をさらってみると、いかに留学機会を有効活用するか、留学に行くべき人はこういう人、行くべきでない人はああいう人と懇切丁寧に解説した記事が山のように出てきます。もちろん大金を投資して海を渡るのだから、情報収集は重要なのは言うまでもないことで、留学機会を有効活用するか、留学に行くべき人、行くべきでない人等々大いに参考にして、最大限自分が納得できる経験にできるようにお膳立てすることも必要です。私が言いたいのは、世間とか社会とかいう他人を軸にした「意味のある」海外経験に拘り過ぎると身動きがとりづらくなって、最悪の場合目の前にある物事の大きさに押し潰されて動かずに終わってしまうぞ、本当にそれでいいのか?ということです。

意味のない、無駄になった留学、ワーホリ、海外経験?
そんなもの、自分がそう思わない限りは存在しません。評価軸は他人に委ねるものではなく、常に自分の中にあるべきものです。自分の経験の価値は自分で決めるものであり、なぜ他人があの留学は有意義だ、その留学は無駄だ、自己満足な留学に過ぎないと批評できるのでしょうか。

自分で無駄な時間だったと後悔してしまうことだけが悲劇なのです。例え自分の思う通りに行かなかった、失敗したとしてもそれはそれでいいじゃないですか。だってやってみないとわからないもん。私も卒業する、という最低限のところは守ったものの、英語でのディスカッションは全く思うように参加できなかったし、自分の言いたいことを思うように伝えられないもどかしさに非常に悔しい思いをしました。ですが、この経験が未だに続けている英語学習の原動力ですし、コミュニケーションの在り方や、言語と自己の人格の結びつきなど今まで考えたこともない分野への思考の幅を広げるきっかけになり自分の引き出しは確実に増えました。失敗から学ぶことは非常に多いです。

結果的にどう転ぼうと自分の心から納得できる経験にするために、自分の中で海外に行く目的、理由、つまり最低限守るラインは明確にしておく必要はあります。その上で、以下の2点を常に心がけてください。

■自分の決めた目的と理由に全力でコミットすること
■どんなことがあっても自分の選んだ道を後悔しないという覚悟を持つこと

社会、世間からどう思われるかは究極的には些細なことですし、世の中は意外と多様性に満ち溢れていて自分という個性を歓迎してくれる場所があるものです。新卒で英語圏へワーホリに行った知り合いも、帰国後無事就職口をしっかり見つけ働いています。他人軸の「意味のある」留学、ワーホリという幻想に振り回されている時間はありません。行ってみたいという気持ちを原動力に色々な情報を集め自分の頭で考えて、納得し行動したのであればどんな形の留学、ワーホリであれ全て自分にとって「意味のある」経験なのです。

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